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ゲームを遊び終えて虚無感を感じたことはありますか?

本題に入る前に少し、最近の記事は話の内容が薄いと言われるもので、話の内容の濃さ、濃い薄いってなんぞいやと考えてみたんですね。

濃い薄いはあくまで例えで元々は液体に対する尺度でしょう。

濃いものは水で薄めると適量になります。

しかしどうでしょう、食事なら噛み砕いて唾液と混ぜて消化しやすくして食べますが、薬なら錠剤のようにすぐには溶けないで胃腸まで進んでから溶けて後から効いてくるということもあるかもしれません。

何か話をして、後々になってから騙されたとかバカにされたと後から悔やんだ経験はありませんか?子供の頃に親の話の意味がわからないで尋ねると「大人になれば分かる」と言われたことはありませんか?

濃いというのは話の中にすぐには解けない問題が含まれているということでしょう。それは話でも、物語や説明ではなく「問い」に属する言葉です。

二人の話でどちらかに迷いがあると言葉の中に問いが生まれます。それに対して適切に答えることで会話に実りがあったと感じるのではないでしょうか。

しかし、その答えが相手を傷つける答えだった場合、単刀直入には言えないこともあるかもしれません。

ゲームが好きという仲間同士の会話で「ゲームって遊んでいる時はメチャクチャ面白いけど後から振り返って虚しくなる、その虚無感って何だろう」と問うた人がいます。

俺は答えを分かっていました。それは生活が虚しくゲームで現実逃避をしているからです。充実した暮らしをしているとゲームというのは生活よりもやや退屈で、この場合友達や家族と遊べるゲームではなくプレステのように一人で遊ぶゲームの話ですから、例えば家族が出かけて自分が留守番でゲームをして、いっときの孤独を忘れさすのにゲームは充分にその役目を果たします。

しかし、人間関係が上手くいかず孤独に過ごす時間が長いものが人付き合いを求めずに引きこもってゲームで現実逃避をしていたらどうでしょう。これは経験があります。ゲームを進めて話が終わってしまうと、明かりが消えて暗くなったかのように孤独に引き戻されるのです。実はゲームを始める前から孤独なのです。

部屋にぬいぐるみでも置けば、それは多少やわらぐと思います。俺はそうしてます。

ゲームやアニメで好きな作品のフィギアやプラモを棚に並べておくと、ゲームの電源を切ってもずっと部屋で一緒に過ごせるから、これがゲームに虚無感を感じた人への俺なりの処方箋です。

ドラゴンクエスト ソフビモンスター 011 ギガンテス

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フェッチランドが強い理由ってツミコミ出来るからだと思ってて

 マジックギャザリングネタはなんかね、勘違いしている人が多いから取扱注意なんだけど、実力以前にまず博識かどうか(カードの種類をよく全部知っているか)買うお金があるか、その上で勝てる戦略を取っているか(デッキが強いか)サイドボードのルールをうまく使っているか、そこから試合中の状況判断は正しいかと段階がいっぱいあって、ぶっちゃけると流行っているデッキに対する知識と強いカードを買い揃える金があったらゲーム中にする選択は将棋ほど複雑でなくても勝ち星は取れる。ただし筋悪の手を考慮すると手の広さはすごくあって、珍しいカードと当たるとゲーム中に「それ何ですか」が発生するんだけど、強いデッキというのは大抵そういうのお構いなしに強い(オカマが強いわけでは無い)

そんでも、強いデッキをコピーするのではなく、新しいセットが出た時などに強い戦略を素早く見つける人の考え方は何も知らない者からすると奥深いところがある。

最初にそう思ったのは大橋君にマウンテンバレーというミラージュのフェッチランドの利点を教えて貰った時だった。

マウンテンバレーは土地カードで、そのカードはマナが出ない代わりに自らを破壊して(生贄に捧げるサクリファイスという能力で「サクる」と言ったりする)デッキから山か森を探して戦場に出すという効果がある。そのため赤緑の二色のデッキを組む時にゲーム中に山か森を選べるのは好都合だと思って入れていたが、大橋君の説明は違った。

「まず、デッキに土地カードが20枚あるとするやん。そして初手に山2枚とマウンテンバレーがあって森を持ってくるとすると、土地が17枚から16枚に減るから、呪文やクリーチャーを引く確率が上がって強いんやで」と言う。微妙な差だけど、MTGの強いデッキというのはそういう小さな確率計算を積み上げて機械のように面白い動きをするものがある。

とりわけ有名なのはソーインググレイシャーズを使ったカウンターポストというデッキ。土地をデッキから探して手札に戻るソーイングを何度も回すと戦場に土地が並びデッキは呪文だけになる。とんでもなく強いデッキだ。

カウンターポストほど強いデッキと比べるとフェッチランドで持ってくる50分の33が49分の33に変わる程度の差はおまじないに等しい。確率的には正しいけど、オカルトも色々あって土地を引きたい序盤にフェッチを回すと土地の引きが悪くなる。と言っても50分の18が49分の17になる程度。ツモの流れが悪くなるからフェッチは使わないという人もいる。色々やってみた結果、何か特殊なカードで「デッキから探す」を3回4回5回10回と繰り返して強いデッキはあるけど、赤単色にフェッチ8枚ランド全部で15枚とかの極端なチューンを除けばフェッチで確率が変わるっての本当におまじないだから。

それでもフェッチランドが強いのはオカルトなのか1%未満の差でも引きを良くしたいのかというと、その実は探してデッキを繰り直す時にツミコミが出来るからだと俺は考えてる。トーナメントレベルでも俺は相手に懐疑心を持って繰り直しを徹底的にやるけど、穏便に事を済ませたいからカットをしない人もいるやん。そういう人をカモれるのがフェッチの強いところだと思ってるし、最初はゲームにフェアを求めてたけど、神仏に拝んでまで勝ちたいと思った時に積み込んで勝って「つまらんな」とどこかで思い始めて、決勝でもお互いにリシャッフルを繰り返して相手の最後のサーチをカットしなかった時に結局相手がとても良いドローで負けた時に「カットすべきだった」とは思わずに「皆そういう奴なんだろう、もうMTGはいいや」とどこかで思った。

これがフェッチで確率が上がるという建前とカードゲームに強いということはどうなのかという本音の俺なりの解釈なんだよね。確率で強くなるというのが学校で勉強した何の役に立つのか分からなかった数学の使い道みたいで嬉しくてデッキを練るのにハマったこともあるけど、賞金がかかった時に人がどうするか冷静に考えると、優勝が目前に来た時にあの時に俺は自分から降りたはずなんだ。そん時は大会のランク的に現金じゃなくてゲームのカードが賞品だったけどさ。現金だったら、もう金のために手を汚す行為に等しいと思ってしまった。

そんな俺もシャドウバースは毎日ログインボーナスを集めていたんですけど12月のキャンペーンでカードをもらってランクマッチをやってみたんですよ。デジタルネットゲーならイカサマは難しい。クライアントをハッキングする人もいるかもだけど、普通に遊んでると信じて3試合やって1敗スタートから2連勝。でも4試合目はやる気起きなかった。勝つってことは裏に負かしている人がいるわけで、カネ払う気もないのに迷惑かなってちょっと思ったから。

純粋にゲームの勝敗をフェアに楽しめるってのはボンボンのワガママだったのかもなって、振り返って思うんだよね。そう考えるとこのブログは夢を見て楽しんでいるゲーマーには受け入れがたい内容だろうけど、誰が読んで何を思うか書いておこうと思った。

 

若い時に太宰治を読んで物書きに憧れたこともあったな

ブログで人気を取りたいが、それ以上に大事なことがある。

それは自分の気持ちを誰かに分かってほしいということ。だから、そのためには何が必要か考え抜いた。「言わぬは言うにまさる」という言葉の意味は「深い気持ちというのは言葉では伝わらない」ということだが、それは古い言葉で図書館の本が全部白紙になったら世界は今とは全く違ったものになってしまうだろう。言葉は尽くすべきだ。

例えばある人が抱えている気持ちが複雑で、太宰治のように小説を書いて自殺したとしよう。後からそれは多くの人に読まれて同じ失敗をしないようになる。あるいはある読者は憧れてしまって同じ過ちをするかもしれないが、それは置いといて、酒を飲みながらの短い言葉のやり取りのような話では伝わらない気持ちも小説となると伝わることもある。それは小説の中に気持ちを伝える言葉だけでなく、どうしてそういう気持ちを持つに至ったかという追体験があるからだろう。

そうすると、俺は例えば病気の話や幼少期に親に暴力を振るわれた話や両親の離婚や受験の失敗、色々なものを賭けた格闘ゲーム大会での敗退などを事細かに書けば、ほとんどの人はつまらなくて読まないとしても、誰かには伝わるかもしれない。

その途中で、そういう自分の後ろ向きな気持ちの種を人に話すと、すでに充分な幸福の中での些細な悩みであるとされることの方が多い。そうなのかもしれない。

それでも、俺は自分の後ろ向きな性格は長い付き合いで嫌いではない。どちらかというと上手くいっている時の自慢話が人を傷つけてしまったことを知っているから。

斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇 (文春文庫)

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